2012年11月アーカイブ

フェルメール展

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フェルメール展が話題になっています。

九州国立博物館では、10月からベルリン国立美術館展でフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を公開し、
昨日で入場者数が20万人を超えたそうです。

フェルメールの室内画は、窓から差し込む柔らかな光の中に何気ない日常生活の一瞬を描いています。

「真珠の首飾りの少女」は、首飾りに結んだリボンを両手に持って窓辺に向かう少女の姿を、
光と影による繊細なタッチで表現しています。

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フェルメールは、17世紀に貿易で繁栄したオランダのデルフトという町に生まれ、この町で画家として生涯を送っていますが、
その作品はわずか32点です。
明るい光を敏感にとらえる画風は、長い冬を経て短い夏を過ごすオランダの人々の感性のようです。

「真珠の耳飾りの少女」 別名「青いターバンの少女」 
少し開き加減の唇で、こちらを見つめて何かを語りかけているような、その仕草がファンを魅了している。
この少女は、フェルメールの娘がモデルだとも言われている。

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「牛乳を注ぐ女」                               「レースを編む女」
  台所の片隅で牛乳を注いでいるメイド                   レース編みに没頭している女性

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「兵士と笑う女」                                「二人の紳士と女」
 この女性は娼婦とも言われている                       男性に言い寄られている女性

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フェルメールの明るく柔らかい光の描写は、見る人をいつまでも釘付けにして心地よい安らぎを与えてくれます。

                                       (掲載画像は、小学館「フェルメールとオランダの旅」より)

「メダカの会」という愛称で河川愛護団体を立ち上げ、祓川親水公園の保全活動に取り組んでいます。

一年に4回程度の草刈りや堤防の保全作業を行っていますが、夏の暑さや降雨など、作業が大変な時もあります。
今年は洪水によって流木や土砂が溜まり、堤防のアジサイや彼岸花が被害を受けました。


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地元の人達で出来ることは自分たちでやろうと、平成21年度から活動を始めて、今年で4年続けています。
先日、今年最後の作業を終えて、綺麗になった親水公園で昼食を兼ねて懇親会を開きました。

      【おそろいの黒手袋が支給されました。みんな嬉しそうです】

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忙しい仕事の合間を縫って、みんな元気に参加してくれています。

みやこ町豊津出身の三田裕子さんが結成するボーカルグループ「ヌーヴェル・ボア」が、三田さんのふる里でジャズコンサートを開きたいと計画し、このほど行橋市民会館大ホールで「ふるさとジャズコンサート」を開催しました。

三田裕子さんは、みやこ町豊津在住の原田定勝さんの4人娘の長女で、全国でジャズボーカリストとして活躍中です。
いつかはふる里でコンサートを開きたいと、お父さんの原田定勝さんと親族の皆さんが努力してその願いが叶いました。

本格的なジャズボーカルは今まで聞くチャンスはありませんでしたが、女性三人の意気があってリズムに乗った歌声は、
会場いっぱいに響きわたり、生で聴くジャズの楽しさを満喫させてくれました。

今回の曲目は、なじみ深いスタンダードな曲からポップスまで幅広く、中でも美空ひばりの「川の流れのように」は三人の素晴らしいハーモニーで、こんなアレンジもあるのかと驚きながらジャズの世界を堪能することが出来ました。

三田裕子さん、これからも頑張ってください。(拍手)


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京築まるごとナビ「都」さんの記事も見て下さい。

明治維新以降の九州では、政府の開化政策に不満を持つ士族が多く、秋月では藩士が秋月党を結成して挙兵し、
豊津に侵入して豊津藩士に呼応を求めましたが、得られなかったため武力衝突に発展しました。

豊津丘陵一帯(育徳館高校~豊津支所~彦徳あたり)で白兵戦が繰り広げられましたが、駆け付けた小倉鎮台分営兵の制圧により、形勢不利になった秋月党は、英彦山に向けて退却しました。
明治9年10月28日の出来事です。

この戦争によって豊津で亡くなった秋月藩士16名の墓碑と、豊津士族による供養碑が甲塚墓地に建立されています。
今年もみやこ町要職の方々と関係者が参列し、豊津郷土史会によって137回忌墓前法要が営まれました。

(秋月の乱についての関連記事


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撮影日:2012.10.29

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