2015年1月アーカイブ

東京大学史料編纂所:助教の井上聡先生が、美夜古郷土史学校40周年記念講演会で、
「中世の京都平野の再発見」と題して講演を行いました。先生は行橋市史の編纂にかかわり、
京都平野の中世を担当しています。


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京都平野の中世史編纂に携わり、鎌倉時代から戦国時代にかけての史料が見当たらないので、
大きな歴史は存在しないと考えたが、京都平野には国府や国分寺があり、浄喜寺の住職良慶が
大阪の石山合戦に加わっている事、今井に享禄年間から続く連歌会が残っている事などから、
今井津をもう一度見つめ直した。


山口県や熊本県などに残されている外部資料を見直すと、京都平野は国府・今井津・周防灘・瀬戸内海を
掌握する地点として重要視されている。荘園時代、大宰府の皇室が京都平野を所領にしようとしたこと。
鎌倉幕府がこの地を押さえようと宇都宮氏を送り込んだこと。南北朝時代には大内氏が港湾を整備して
瀬戸内海や大陸との交易の拠点としたこと。などが大きな文化の存在を裏付けた。


京都平野の中世史が残されていないのは、北部九州では大きな戦乱が何回も繰り返され、大内氏が滅び、
宇都宮氏が没落して武士団が滅亡したこと。小倉の細川氏が熊本に転封し、家臣団が細川氏に従って
熊本に移り住んだこと。などが原因と思われるとのこと。


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京都平野を外から眺め、外部の史料を丹念に読み解きながら京都平野に関する史料を発掘するという着想は、
地元にいてはできない発想で、井上聡先生の講演は身震いするような凄いお話でした。

撮影日:2015.1.17