2016年3月アーカイブ

みやこ町合併10周年記念行事で、建築家:安藤忠雄先生の講演会が開かれた。
「地方都市の生き残りをかけて」と題した講演で、先生が話された言葉を抜粋してまとめました。


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朝、大阪から来たが、みやこ町は遠いところ、よくここまでたどり着いた。
地方都市をどうするのか、国は考えているのかと思う。
北海道・札幌の図書館を払い下げてもらい、お菓子屋に改装、再利用している。
あるものを再利用しないといけない。助け合って生きていかなくてはいけない。


震災に会った東北の子供たちを救うため、1万円を10年間払い続けてくれる人を集めている。
1日に100人申し込みがある。1ヶ月3000人、半年で18000人申し込む。
サントリーのボトル1本に1円の寄付、ユニクロのシャツ1枚100円の寄付をお願いした。
政治家の小泉さん、鳩山さんからも寄付の電話があった。

子供たちが反応するために一緒になって生きていく仕掛けをしないといけない。
会話、対話ができる子供たちにしないといけない。
自由、勇気、責任を持った子供たちをつくらないといけない。


野間佐和子さんの野間自由幼稚園は、縁側で自然とともに考える設計。
子供たちが自然の中で元気よく駆け回る縁側空間をつくる。
芝生広場に大きな大理石の彫刻を置き、座ったり飛び乗ったりして自由な発想で遊ぶ。

加賀市立錦城中学校では部屋と部屋の真ん中の廊下が広い設計にしている。
廊下と部屋が一緒で対話ができる。

幼稚園を運営する巻レイさんは子供のための施設として、美しい絵本と対話ができる場として絵本館をつくった。
絵本の名前を借りて、「まどのそとのそのまたむこう」という名前を付け、窓の外に広がる世界を感じてほしいという。
町に誇りがある、先生に誇りがある、誇りがあるものをつくらないといけない。

自由で気合の入った、責任感のある、勇気がある子供たちは地方でしかできない。
アジアは元気、それ以上の子供たちをつくっているのでアジアの子供は強いが、日本の子供は弱い。

直島には発想力、持続力がある。ここに世界から人を呼びたい。
緑が失われた島に木を植え、地中美術館を建設、芸術が人を豊かにする。
島に人が訪れるようになり、島民は自発的に民宿や喫茶店を営み、自分の島に誇りを持つようになった。
自分たちの気持ちで盛り上げていく。

ここにしかない町、ここにしかない人間、ここにしかない会社をつくれば人は来る。
自分の価値観を持ち、新聞を読み、本を読んで自分で考えること。

森の中の学校をつくる。子供たちにドングリを拾ってもらう。
小学校の6年間面倒を見ることは持続力がいる。リーダーには責任、自由、勇気がいる。
神戸市立長尾小学校、愛情のある町、誇りのある町をつくらないと人は帰ってこない。

美しい大阪を寄付でつくる。中之島公園や大阪城は寄付によって変わった。
緑がないので桜を3000本植えた。大阪人の寄付の精神に頼って桜並木をつくる。
企業も公共も市民も頑張らないといけない。
自分たちの街を自分たちで作り、「桜の会、平成の通ぬけ」が完成した。

豊中のビルに蔦で緑の壁をつくっている。1年で3メートル上がり、ボリュームが出る。
梅田スカイビル、1993年に完成し、緑の壁をつくっている。
セキスイ、パナソニックが入居している。緑でボリュームが出てきた。設計料はいらんのかと言われた。
1個やったらまた何かをつくる、止まったら終わり。大阪はずり落ちている、それが分かっていない。

みやこ町伊良原学園の設計は4年前に頼まれた。小学校を木で作る。木で包まれたら愛情が伝わる。
体育館は公民館的なものと考えた。東京ではできないものをつくる。誇りのある物がいる。

人口知能は人間から仕事を奪う。そろそろ目を開かないと生きていけなくなる。
アジアは一つ、毎日中国やアジアから事務所に来ている。走り回る人が出てくると違った日本になる。

苅田町役場の小野剛史氏が、美夜古郷土史学校で講演を行った。

慶応2年に勃発した第二次長州征伐は四境戦争と呼ばれ、本州の石州口、芸州口、大島口、
九州では小倉口で戦闘が始まった。

小倉戦争は武士の立場から語られた資料は多いが、農民の立場から、京都郡新津手永集村の岡崎伝左衛門が記した
御用日記を紐解きながら、小倉戦争を考えてみたいと話した。

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江戸末期、公武合体派と尊攘派の対立が激しさを増すなか、長州の高杉晋作による挙兵の動きに対して、
幕府は第二次長州征伐を命じたが、福岡藩や薩摩藩、広島藩や宇和島藩など多くの藩は出兵を拒否した。

小倉藩では農兵を徴募し、各村ごとに人夫が割り当てられた。
岡崎伝左衛門は人足などの手配・応募があったことを御用日記に記している。


文久3年、長州藩では高杉晋作が丙寅丸に乗って、門司の田野浦に砲撃を加えて上陸した。
坂本竜馬も、長州藩が薩摩藩名義で購入した乙丑丸に乗り、戦闘に参加した。
長州軍の奇兵隊は洋式銃を手に縦横無尽に走り回り、甲冑に身を固めた火縄銃の小倉軍は一方的に攻められて、
大里まで退却した。

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双葉社 坂本竜馬 より出典


岡崎伝左衛門の御用日記によれば、逃げ帰った農兵を説得してもう一度送り出した。
また、喧嘩っ早い者は申し出ることと指示を出し、牢に入っている人まで借りだしたと記述している。

7月20日、大阪城では将軍家茂が急逝し、熊本藩が撤退したため小倉軍の総督を務めた小笠原長行も逃亡して
小倉藩だけが取り残された。
このため小宮民部が独断で小倉城に火を放ち大混乱になった。

小倉城が炎上したあと苅田村から百姓一揆がおこり、京都郡全土、仲津郡や築上郡まで広がった。

小倉藩軍は軍議のすえ、金辺峠と狸山峠に集結して抗戦したが、四境戦争も小倉口の戦い以外では止戦となったため、
小倉藩軍も止戦を申し入れ撤退し、4ヶ月間の戦闘はようやく終結した。

小野剛史氏は、御用日記には現場の生々しい話が出てきて、農民の混乱ぶりが良く著されていると話した。

撮影日:2016.3.17

萩は昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となったところ。ドラマの地を訪ねる萩散策に大勢の申し込みがあり、
みやこ町からバス3台を連ねて出発しました。

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前日から冬の寒気がぶり返し、なんとなく肌寒いお日和が幕末の萩にタイムスリップするのにふさわしく、
身が引き締まるような史跡めぐりとなりました。

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吉田松陰が教育を行い多くの逸材を育てた松下村塾。その裏手には、松陰が幽囚された旧宅が当時の面影を忍ばせ、
それに対比するかのように向かいには立派な松陰神社が目を引きます。

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伊藤博文旧宅は小ぢんまりとした木造茅葺で、東京に建てられたものをこの地に移設したという別宅は、
堂々とした豪華な造りになっています。

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萩博物館は自然、歴史、民俗、産業、美術工芸の総合的な展示がされている広大な展示場で、
なかでも高杉晋作の資料が目を引きます。
隣接の北の総門。復元されて、日本最大級といわれる大きさには目を見張ります。

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萩城下町は国指定史跡です。萩反射炉も明治日本の産業革命遺産で、国指定史跡のひとつです。
萩藩では欧米列強に対抗するため、鉄製の洋式大砲製造を目指し反射炉を導入しようとしましたが、
現存する反射炉は試験炉で、実用には至りませんでした。

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萩の城下町に今に残る史跡を訪ねてまわると、幕末から明治にかけての激動の時代、
日本の近代化に重要な役割を果たしてきた歴史が偲ばれます。

撮影日:2016.3.13

福岡県国際交流センターが主催する、市町村国際交流協会連絡会に参加しました。

アクロス福岡のこくさいひろばに、県下の国際交流団体として資料を提出した21団体のうち
15団体が出席し、一堂に会してそれぞれの活動状況を発表しました。

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国際交流活動は、諸外国と相互理解と友好・親善を深め、国際平和に寄与することを目的とした活動です。

この連絡会では、多様な経験を積んだ福岡県内の先進団体が、この一年間に成果を上げた活動事例を
発表してくれますので、後発の我々は大いに刺激を受けます。


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我々のみやこ町国際交流協会は、まだまだ経験不足で手探りの活動状態ですが、先輩諸氏の取り組みを参考事例として、
みのり多い活動にしていきたいと思っています。

撮影日:2016.3.7