2016年10月アーカイブ

秋月の乱を歩く

| コメント(0) | トラックバック(0)

みやこ町歴史民俗博物館が主催する「みやこ町古墳まつり」関連事業で、
「歴史たんけんウオークー秋月の乱を歩くー」が開催された。

秋月党の豊津侵入により勃発した「秋月の乱」。
終息から140年をむかえ、その舞台となった地を歩いて、明治維新の豊津に思いを馳せた。

秋月では、明治新政府に不満を抱く士族たちが秋月党を結成し、
豊津に同盟・挙兵を求めて豊津藩庁に向かった。

  豊津政庁施設があった場所                      鳥居は大手門の位置に建立されている
CIMG8943 (2) (1280x960).jpg  CIMG8950 (2) (1280x960).jpg

当時は豊津支所横のグラウンドに100軒四方の土塁に囲まれた政庁の施設があり、
秋月党はここに布陣して育徳館に交渉役を送り込んだ。

育徳館には多くの豊津藩士が教官として詰めていたため、秋月党との談判の場となった。

  育徳館黒門                               育徳館(講堂が談判の場) 
CIMG8957 (2) (1280x960).jpg  CIMG8966 (2) (1280x960).jpg

八景山には、この時すでに不穏な動きを察知して駆けつけた、乃木希典率いる小倉鎮台官兵が陣を敷き、
山の上から両藩の動きを見守っていた。

  八景山
CIMG9017 (2) (1280x960).jpg


育徳館での談判は長引き、そのうち豊津小学校付近にあった藩の金蔵に手を出そうとしたため、
小倉鎮台は官兵を二手に分けて育徳館を挟み撃ちにした。

  豊津小学校                              豊津藩民政局跡
CIMG8972 (2) (1280x960).jpg  CIMG8974 (2) (1280x960).jpg


官兵側の狙撃を合図に乱戦が始まり、錦が丘から下本町にかけて激しい戦闘が行われた。
なかでも下本町の豊津藩市井方役所跡では白兵戦が繰り広げられ、秋月党の勇士:宮崎伊六が打ち取られた。

  下本町の通り                              市井方役所跡
CIMG8981 (2) (1280x960).jpg  CIMG8994 (2) (1280x960).jpg


戦闘は夕方6時過ぎには決着し、戦死者は秋月藩士17名、豊津藩士1名、両方で100名近い死傷者が出た。
夜になって敗戦した秋月党は、集結地とした英彦山に向かって退却を始めた。

秋月党戦死者の遺体は豊津彦徳の吉祥院住職と村人の手で甲塚墓所に葬られた。

  甲塚墓所
CIMG9010 (2) (1280x960).jpg  CIMG9012 (2) (1280x960).jpg


翌10年の夏、戦死者の名を刻んだ墓碑が建立され、明治13年には豊津の士族によって
秋月の戦死者の霊を弔う石碑が建立された。

撮影日:2016.10.23

みやこ町歴史民俗博物館主催の「みやこ町文化遺産ボランティア養成講座」が始まりました。

CIMG5075 (2) (1280x960).jpg


ボランティアとしての活動内容は、町内文化遺産・施設の観測やメンテナンス、文化遺産の観光・学習などのガイド、
文化遺産関連の催事に対する参加や後方支援、収蔵資料の記録や文化遺産の調査活動など。

CIMG8930 (2) (1280x960).jpg  CIMG8931 (2) (1280x960).jpg


これから3ヶ年をかけて組織を立ち上げ、具体化させていく計画とのことです。

博物館の館内・館外を問わず、みやこ町の文化遺産に関心を持っている人達によって、
町内に賑わいを作っていこうとする取組です。

CIMG8933 (2) (1280x960).jpg

撮影日:2016.10.22

堺利彦と、夏目漱石

| コメント(0) | トラックバック(0)

社会主義運動の先覚者と呼ばれている堺利彦は、現みやこ町犀川大坂に生まれ、
少年時代を豊津で過ごし、旧制豊津中学校(現育徳館高校)を卒業して上京します。

img004 (589x947).jpg


10月17日の朝日新聞記事で、東京の日本近代化文学館で開催中の「漱石―絵はがきの小宇宙」展で、
堺利彦が夏目漱石に宛てた絵はがきが話題になっていることを紹介しています。


img002 (1244x1280).jpg


堺利彦が興した「平民社」発行の私製絵はがきに、夏目漱石の「吾輩は猫である」が面白いので、
三夜続けて朗読会を開いたと記されているそうです。

投稿日:2016.10.17

爽やかな秋晴れの土曜日、みやこ町豊津甲塚墓所で秋月藩士墓地の清掃が行われた。

来る10月29日、午前11時から「秋月藩士墓前法要」が予定されているため、
主催者の豊津郷土史会会員による準備作業の一環。


CIMG8873 (2) (1280x960).jpg  CIMG8877 (2) (1280x960).jpg


また、10月23日には、みやこ町歴史民俗博物館の主催で、「歴史たんけんウオークー秋月の乱を歩くー」を開催予定。

みやこ町歴史民俗博物館から育徳館高校を経て八景山まで、「秋月の乱」ゆかりの地をめぐるコースを歩き、
途中、この秋月藩士墓地にも立ち寄る。


CIMG8882 (2) (1280x960).jpg


午前10時の開始にもかかわらず、8時すぎから早々と作業にかかる人達もいて、
清掃は手早くきれいに仕上がり、気持ちの良い朝のひと仕事となった。

撮影日:2016.10.15

NHKテレビの土曜ドラマで「夏目漱石の妻」が放映されています。

CIMG8857 (2) (1280x960).jpg


妻の鏡子役は尾野真千子で、漱石は長谷川博己が演じ、コミカルな楽しいドラマです。

CIMG8862 (2) (1280x960).jpg


第3回目は、小説「吾輩は猫である」が評判となった漱石が、小説家を志してそれまでの東大英語教師を辞め、
「東京朝日新聞」に入社した明治40年頃のお話です。

CIMG8861 (2) (1280x960).jpg


漱石宅では門下生も増え、その一人に小宮豊隆が登場しました。

CIMG8858 (2) (1280x960).jpg  CIMG8867 (2) (1280x960).jpg


小宮豊隆はみやこ町犀川久富の出身で、漱石は小宮豊隆からの手紙を題材にして
小説「三四郎」を書いたそうです。

小宮豊隆は後に漱石全集を編集し、漱石研究の第一人者といわれています。
みやこ町では出身の育徳館(豊津)高校の校歌を作詞し、遺骨は豊津の峯高寺に分骨埋葬されました。

小宮家から、みやこ町歴史民俗博物館に貴重な資料が寄贈され、館内で常設展示を行っています。

撮影日:2016.10.8