2016年12月アーカイブ

みやこ町中央公民館のギャラリーで、石川眩さんが「一期一会~陶喜作品と書の世界~」と題して、
陶芸と書画の作品展を開催しています。(陶器の喜は面白味の表現)

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書家として日展入選や毎日書道展会員賞を受賞した腕前で、
一年前に出身地の犀川に帰省して創作活動をしています。


欄間額と掛け軸の迫力ある力強い揮筆には圧倒され、西郷南洲の壁掛けには温かみを感じます。
作品の表装や額装は、母の幸子さんが手がけたそうです。

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同時に展示している陶芸作品は、器物から置物まで個性豊かな作風で、
眺めるだけで楽しさがわいてきます。

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魚の干物は陶器と思えないほどリアル、龍の陶芸品は今にも動き出すかのような勢いがあります。

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石川眩さんの作品は、生き生きとした表現の中から書と陶芸の魅力が伝わってきます。
ぜひこの機会に、みやこ町中央図書館まで足を運んでみませんか。

開催期日:12月26日 月曜日まで
場所:みやこ町中央図書館内  みやこ町豊津1122-12
時間:10:00~18:00

英彦山は平安時代の僧:法蓮によって修験道が開かれ、
鎌倉時代から江戸時代にかけて隆盛を極めた日本三大修験道の山。

最盛期には山内の坊舎は10の谷に3800坊散在していたそうだが、
明治維新後に政府の修験禁止令により衰退していった。

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みやこ町文化遺産ボランティア養成講座の第2回は、メンバーのガイド技術習得のため、
先進地である添田町観光ガイドボランティアさんの案内で、英彦山の修験文化めぐり研修を行った。

英彦山参道の玄関口となる銅の鳥居前は勢溜といい、
昔はここに馬を置き、身体のチリを落として銅の鳥居をくぐったそうだ。

入り口の石段脇に点合護法という道案内の神が、不浄の者を山内に入れぬように祀られていた。

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修験道が栄えた時代、参道に沿って坊舎が立ち並んでいたそうだが、今は山伏が生活の場とする坊舎もほとんどなくなり、
当時をしのぶ立派な石垣が多く残る。
城郭のようなソリのある石積には、穴太衆の石工の技法がみられるという。

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往時の姿を留める松養坊にお邪魔して、坊家内の間取りや生活用品、文化財などを見学。
この坊には文化人の掛け軸などが残り、英彦山修験道の繁栄ぶりを窺うことができる。
詩人の種田山頭火はここに2回宿泊したと記されている。

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修験道の大講堂として建てられた奉幣殿は、戦国時代の兵火で焼失し、江戸時代に小倉藩細川忠興によって再建された。
入母屋造りでコケラ葺きの堂々とした風格は、多くの観光客を魅了する。

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他にも、山中に残る多くの修験道史跡をまわり、ガイドさんの詳しい説明をお聞きした。
知識とガイド経験の積み重ねによる史跡案内の巧みさに、修験道の精神まで伝わってくる思いでした。

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英彦山の朝はお手水鉢の水が氷るほどの冷え込みでしたが、講習会場は暖房が利いた部屋を準備していただき、
松養坊をお借りしての昼食では、温かい味噌汁の差し入れを頂きました。

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添田町観光ガイドボランティアさんの心がこもったおもてなしガイドで、充実した修験道めぐりになりました。

撮影日:2016.12.17

第8回中津街道史跡探索ウオークは、小波瀬西工大前駅を出発して、苅田町与原の中津街道を南下。
国道10号線を横切って、苅田町と行橋市の境界である小波瀬川を渡り、行橋市行事方面へ。

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小波瀬という地名は、この付近が小さな波が打ち寄せる海岸線であったことによる。
この川の中流に位置する草野は、中世まで草野津と呼ばれる重要な港があったところ。

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小波瀬川を渡ると、街道の路肩に国の陸地測量部が設置した水準点の標識がある。
明治23年、国道の2kmおきに設置したもので、東京湾を0mとして高さを計測したとのこと。
標柱の側面に記録を書いているそうだが、土中に埋設されているため読むことはできない。

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中津街道をさらに南下すると、長峡(ながお)川河口付近に出る。
この付近は、江戸時代は豊前の国有数の港として栄えた。

行橋市行事の中津街道から分かれた田川道沿いに飴屋の御成門がある。
小倉藩の豪商玉江彦右衛門の飴屋があったところで、中津街道と長峡川の陸海交通の要衝になり、
飴屋は藩外への商業活動で財をなした。

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ここから西に田川道をたどると、沿道に龍宮城のような楼門の西福寺がある。
江戸時代、行事村でキリシタンの絵踏みをした寺として伝わる。

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田川道の日豊本線を越えたところに正ノ宮正八幡神社がある。
宇佐八幡三神を祀る神社として859年に創建された。

小倉藩主が廻郡の時に参拝し、五穀豊穣を祈念したと伝えられ、小倉に赴任した森鴎外の著書「小倉日記」でも
紹介されている。
行事の飴屋が奉納したという大きな絵馬が、拝殿の欄間に掲げられ、神社の由緒を語っている。

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撮影日:2016.12.11