2017年4月アーカイブ

ソメイヨシノが見ごろを迎えた京築で、「中津街道史跡探索ウオーク」が開催され、
史跡巡りを愛好する大勢の人たちが参加した。

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今年度の第1回目は日豊本線築城駅の出発で、最初の訪問先になる東八田の法然寺に向かう。

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ここは黒田官兵衛が豊前に入国して最初に留まったというお寺。

宇都宮鎮房が本拠とした築城郡でこの寺を選んだのは、法然寺を再興した僧の行信が官兵衛と同じ播磨の出で、
この地が豊前六郡を治めるのに便利な場所であったためといわれている。


中津街道は築城から椎田にかけて、路傍に数多くの道標が残っている。
江戸時代はこの地域が豊前国の中心部になり、小倉、香春、中津方面への分岐点になっていた。

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宇佐九里、彦九里、小倉九里と言われ、それぞれの地はここから36㎞の距離になる。


江戸時代の菱屋平七の旅日記「筑紫紀行」によれば、中津街道は城井川を渡る橋がなく、
画像の鉄橋の手前の井関付近を歩いて渡ったカチ渡しであったと記されている。

取り付け道路は草生して今も残る。

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高塚には自然石に刻まれた餓死塔がある。

享保17、18年にかけて全国で長雨や大干ばつなどの異常気象による大飢饉が起こり、
その上、伝染病が大流行して住民の四分の一が餓死した。

この時の餓死者を供養して、明治15年に住民の総意で建立されたもの。

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城井川と岩丸川が合流する付近は堤防の桜が満開で、訪れる人たちの目を楽しませる。

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この付近の城井川は、飛び石式の渡渉から舟板等を使用して通行していたため、
大正8年、蔵内家の寄贈により木造の浜宮橋が建立された。

その後平成8年に架け替えられて、ヨーロッパ調の近代的な橋に生まれ変わった。

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築上町立歴史民俗資料館の玄関には延塚筋奉行の胸像がある。

天保3~4年に全国で「天保の飢饉」が発生し、築城郡もひどい凶作になった。
この時筋奉行であった延塚右衛門は、農民救済のため「根付料」の返済を独断で免除し、その責任を取って切腹した。
毎年12月には「延塚奉行追善供養式典」が行われている。

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撮影日:2017.4.9

みやこ町勝山宮原で「千女房桜祭」が開催され、地元の千女房山桜保存会がよもぎ餅をつき、
大福もちにして野菜やミカンと共に販売していました。


良く晴れた温かい日差しに誘われて出かけてみましたが、
桜の開花は1割程度で、訪れる人もまばらでした。

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でも、咲き始めの山桜は初々しく清らかで、薄ピンク色の花びらには心が和みました。

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どこからともなく聞こえる鶯のさえずりも情緒豊かで、つきたてのよもぎ餅はしっかりとよもぎの風味がして、
少し早い山里の花見を楽しむことができました。

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「千女房桜祭」は4月2日までです。

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撮影日:2017.4.1

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