8月15日。

実父は昭和8年生まれでした。
伊良原で少年時代を過ごしています。

実母は昭和12年生まれ。
母の一家は戦時中、糸田で暮らしていました。
おじいちゃんが炭坑で働いていたのです。


「炭坑が狙われたら、だれもいなくなってしまう。」
母は家族の中でひとりだけ、終戦前後の約半年、
伊良原に疎開していたそうです。

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夫の父の家は、苅田町の北九州よりでした。
夫の母が少女時代を過ごした家は、小倉北区三萩野のあたりです。

昭和20年8月9日。
もしも、あの日、長崎ではなく、北九州に「最終兵器」が投下されていたら・・・。


夫の両親には、なんらかの影響があったかも知れません。
後年、ふたりが知り合い結婚することもなく、夫も生まれていなかった?

伊良原の、のどかな風景にも、【黒い雨】が降り注いでいたかも知れません。
両親の体調にも少なからず悪影響を及ぼしていたはずです。


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小倉城・八坂神社・勝山公園・・・。


先日、五味太郎さんの原画展に行った時に撮影した一枚。
「わっしょい百万夏祭り」の当日でした。
戦後67年の、日本の、北九州の、ある一日のスナップ。


おじいちゃんや、おばあちゃんが生きていたら、
教えてもらいたかったこと、いろいろあるけど、もう聞けない。

戦時中の話も、本や映画の中でしか、わからない。
風化されつつあるのは、福島の原発事故も同じかも。
「記録に残す」これはとても大切なこと。


ご先祖さまに、
そして、今、こうして平和に暮らせることへの感謝を込めて・・・合掌。

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このページは、剛のファンが2012年8月15日 20:02に書いたブログ記事です。

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