ブログ講座も今日で五回目・おわり・ようやく卵の殻をつつき、何とか破ろうと悪戦苦闘ちゅう。
明日からが少し不安な気持ち。例によってのんびり、ゆっくり目標をもって頑張ろう


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ダウンしないよう前を向いて


あれ!もう終わるんだ。

一週間に1回の講座は、5回で約1ヶ月が過ぎた、今日で終わりである。

輪廻という言葉があるとすれば、一つの区切りは次の初めであろう。
 
私は楽しかった。今まで何か頭の中で、もやもやしていた煙がいっぺんに火が

付いて、飛び出したみたいである。表現することの楽しさが、少しづつ分かって

きたような気がする。

 でも、自分の気持ちを、表現するのにボキャブラリーに乏しく、言葉探し、

何十年も過ぎた昔の学生時代に向かってぶつぶつ。

 まあいいや、好きなことを、好きな時に、好きなように書けばいい。

 私自身にそう言い聞かせながら、欲張りはやめにしておこうと思う。
  
頑張りすぎるとつらくなる ,無理しなくていいんだから、

ゆっくり、ゆっくり,マイペースで.

DSC_6876.jpg熊本波野村(旧名)神楽苑で行われた神楽フェスティバルでの「うずめ」の写真です。

豊前国分寺
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photo by s.sugimori
場所 みやこ町国分

  土のついた野菜
 今朝の新聞記事に「土のついた野菜のおいしさを分子レベルで引き出す。」の見出しが
目に入った。
 読んでいて、地域の直売所の売り場が思い浮かびました。 記事は「新しい料理を
考えるとき、まず思い浮かべるのは大地のこと。畑を回り、主役の食材を考える」と続く。
 これらは、主婦である人なら誰でも考えることだろう。
 "土のついた"という言葉は、食材の採れる田畑や山々を連想させるとともに、言葉の
響きとして、新鮮・採れたて・おいしさなどを連想させる。
 土のついた野菜は、地域の販売所の原点。
いつでも、大地に根ざしたものを店頭に陳列してほしいと、切に願う今日この頃である。

色即是空の私見
 生まれた時から、人は死ぬことが決まっている。
先日、知人の葬儀に参列した。決められたように始まり、
決められたように終わった。生前の付き合いが深かった
人のなかには、感情が高ぶったのか涙ぐむ姿も見られたが
私にとって「死」は当たり前のこと。自然の摂理だと思う
と淡々とできた。
 考えてみると人の死には色々ある。病気や自殺、なかには
には、殺害されたり震災や災害にあったりと様々だ。
 死は人生のリセット。「無」で終わり、いろんなものを
背負ったままでは、あの世には行けないのだが、あれも欲
しい、これも持ちたいと欲望だらけ。
凡人の私は、俳人 種田山頭火の「持ちきれない、荷物の
重さ、まえ うしろ」と云う句が頭をよぎるのである。
 

 岩戸開きシンポジュウムが3/13日(日)豊前市文化交流センターで開かれました。
京築の歴史・文化・ゆたかな食など「豊の国」?が持つている魅力を、この地域の
博物館として、育てていきたいと云う講演のようでした。

記念神楽公演
 豊前神楽集団「若楽」の「御先」は若手の舞で、所作にキレがあり、大分・熊本地区の神楽とは、違うものを感じました。

昨日(2011.2.25)インターネット講座を受けました。大変興味を持ちました。

何も考えず、パソコンを写真の印刷のみに使っていましたが、通信プロトルコ、ハイパーリンク、ハイパーテキスト、2進法・16進法など私には関係ないものと思っていましたが、少しは身近に感じられました。

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